いつ終わるかが全く見えません…。
取り敢えず続きを綴っていきます。
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左右同じ高さに手摺りがある歩行空間が5メートル、前に鏡あり。
最初の2ヶ月くらいは、手摺りに両手をかけて、鏡を見ながら、
右半身が斜めにならないよう伝い歩きを延々繰り返した。
鏡を見て、姿勢が崩れていないかをよくよくチェックしながら。
そうやってひたすら筋肉に動きを覚えさせるような感じだった。
リハビリのない日も出来るだけ松葉杖をついて歩くようにはしていて、
最初は両脇に杖を抱えていたが、
段々と杖は左側だけ付けば歩けるようになっていった。
右足の筋力が弱くてぐらつくので、右足を出す時に松葉杖を左腕前に出す。
(…言葉では全然伝わらないかも…)
手摺りの中で延々鏡を見ながら、自然に足を運べるように癖付けをしていたのが功を奏して、
リハビリの先生(理学療法士)に
「すごく自然に歩けている。」と言ってもらえるまでになった。
…でもまだ杖なしでは、
上半身を右側に傾けなければ左足を前に出せない。
もうこれはひたすら地道に続けるしかないな、とここでも腹を括った。
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実は、抗癌剤投与とリハビリに関しては、
反面教師にさせて貰った患者さんがいる。
1.
まず、抗癌剤投与。
自分と同年代でもう一人同じ横紋筋肉腫で入院している患者さんがいて、
その彼は足の太腿付近に腫瘍ができてしまい、右足を切断していた。
そしてひたすらネガティブな人だった。
足を失えば当然ネガティブになるのは理解できる…
が、泣き言は言わないと決めていた自分とは全く波長が合わず、
ほとんど話をすることは無かった。
治療は吐き気は来るわ、血液の数値下がって危険だわで現実から目を逸らしたい気持ちはよ〜くわかる。
その辛さを紛らわせるために、その彼は隠れてタバコを吸っていた。
タバコの解毒も、抗癌剤の解毒もどちらも肝臓が担う。
肝臓に負担がかかれば、当然ながら免疫力にも影響してしまう。
ましてやニコチンなどは、抗癌剤でただでさえ弱った身体には劇物でしかあり得ない。
…
以前のブログにも書いたが、
横紋筋肉腫は肺に転移しやすい。
…ここまで書けばお察しいただけると思うが、
その彼の腫瘍は肺に転移してしまった。
間違いなく、タバコが彼の肺を痛めつけて、
転移する隙を与えてしまったのだと思う。
発覚してしばらくした後、彼は呼吸器内科に転科して行った。
その後、彼はどうなったのかは何も聞かされなかった。
自分は元々タバコが大嫌いで吸わなかったのも幸いだったが、
やはり今目の前に立ちはだかる問題から逃げちゃいかんのだな。
本当に申し訳ない事なのだが、反面教師とさせて頂いた。
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2.
リハビリも当然ながら長く地道な作業。
もう本当に根性も試される。
中学高校とも帰宅部で根性論とは全くもって無縁な世界を生きてきた。
そんな人の声がノイズにしか聞こえなくてコミュ障かよお前みたいなティーンエイジを生きてきた人間としては、
「この入院リハビリはその避けてきた他人とのディスカッションや精神鍛錬を増し増しで一気にツケで与えられた試練のような心地」だった。w
その事を妹に言ったら、
「…そんなレベルじゃない、何言ってんの?」と突っ込まれた。
友人にも「それ以上のレベルだよ。と言うかお前若干捉え方おかしい」と突っ込まれた。
まぁ、おかしいから生き残れたんじゃない?と今は思うw。
リハビリの反面教師は、とあるおばあちゃん。
単調な作業が辛くて痛いようで、「いやじゃ」とそっぽを向いて、
一切リハビリをやっていなかった。
歩けるようになるためにひたすら辛い同じ作業を延々繰り返さねばならない。
しかも、お年を召した方の回復はものすごく時間がかかる、かつ回復するともどうしても明言できない。
でもそれから逃げたら何にもならない。
自分も杖なしで歩けない可能性はあるけど取り敢えず逃げたら負けなんだな。
おばあちゃんには申し訳ないが反面教師とさせて貰った。
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術後2回の抗癌剤投与を無事に終え、入院してから11ヶ月後に退院。
退院後6ヶ月はリハビリに週2回通い続けた。
もうひたすら頑張った。
そんな根性俺にあったんだ、と本当に発見だった。w
体育会系のノリや根性論を「けっ」と思っていたこんな帰宅部系の俺にw。
だが抗癌剤のダメージはやっぱり大きくて、
リハビリ以上のことは基本的にできる体力がなく、仕事は全然出来る状態じゃ無かった。
なのでしばらくは親のスネをかじって生きる状態でもあり本当に申し訳ない気持ちだった。
そうこうしているうちに退院して一年。
ついには杖なしでなんとか体を右に傾けずに歩けるようになった。
理学療法士や運動を専門でやっている人には足が良くないのは見破られるものの、
普通の人にはほとんど分からないレベルで歩けるようになった。
これは手術直前に「まぁ歩けるようになると思う」と確信していたことが現実になった。
でも右足の太腿の筋肉が全く動かせなく萎縮している、かつ右の半月板あたりの神経も死んでいるので、
スポーツや走ったりはもう出来ない。
階段の上り下りも態勢崩したら落ちるしかないので手すりを持たなければ危険だ。
もうこればっかりは受容して生きるしかなし。
スポーツ嫌いだから苦にはならんがw。
歩けるようになったとはいえ、身障者手帳を所持することにはなりました。
もうこれも致し方なし。
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それと、やはりキツい抗癌剤の影響は大きく、
元々強く無かった暑さにさらに弱くなってしまった。
夏場はすぐに体内に熱がこもる感じになっている。
しばらくは原因が何かは全く分からなかったが、
今通っている、内分泌も整えられる整体の先生のおかげで原因が判明した。
それは、肝臓。
どうやら疲れがたまると肝臓が腫れやすいらしい。
肝臓は腫れるとすごく熱を帯びるらしく、
自分の場合はその熱が体内にこもって熱中症などになりやすいそうだ。
本当に強い抗癌剤は恐ろしい。身を以てそう感じます。
そして、肝臓ってアルコールだけじゃなく、あらゆる解毒を担う臓器なんだと痛感しています。
ということで皆様、
身体はくれぐれも大切に。
ちょっと特殊な腫瘍ではありますが、
癌治療にはこんなケースも有り得るという、
経験しないに越したことはない参考文献として。
一応、了。
(もうほぼ出たまま書き殴ってきたので、
読み返してみて推敲・構成変更などもしてみたいと思います。)
1.
生き残りし者。 1
2.
生き残りし者。 2
3.
生き残りし者。 3
4.
生き残りし者。 4(経験しないに越したことはない参考文献)
5.
生き残りし者。 5
6.